2008年4月3日木曜日

美しく大往生


桜がきれいに咲いた昨日の朝方。

父方の祖母が息を引き取った。満89歳。90歳まであと、1ヶ月と少し。

早朝、父からの電話がなった。そんな時間に鳴る電話。もう、その時点でわかってしまった。


 ああ。とうとうお迎えが来たか。


たまたまその前日、母も私も明日は休みが偶然重なったので、ちょうど祖母に会いにでも行こうかと、話していたところだったのだ。

 ああ。おばあちゃんからのテレパシーやったんや。

特養で暮らしていた彼女。
早朝のケアワーカーさんの見回りで息を引き取っていたことに気づいたそうだ。

死因は一応、心不全。
でも、誰もが認めるところの『天寿全う』。大往生だった。


すごく穏やかな、きれいな御顔。
肌の色艶も透けそうなくらい、美しい。

彼女の故郷、尾道から親戚が車でやって来てくれた。

私の顔を見た瞬間口々に、

「急じゃったのぅ。」「よしみちゃん、びっくりしたじゃろう。」

祖母は3姉妹の末っ子。
上のふたりの姉はまだ健在だ。それぞれ、92歳と95歳。

真ん中の92歳の祖母の姉も遠路遥々来てくれた。

「びっくりしたわぁ。」

彼女も笑顔でそう言った。

なぜかみんな、笑顔だ。

瀬戸内の恩恵を受けて育っている彼らはみんな、生粋の瀬戸内メイドなので陽気で底抜けに明るいのだ。


お通夜。

父方は高野山真言宗なので、読経は『南無大師遍照金剛』。檀家なので寺院さんも先代からずっとお世話になっている坊さんがきてくれた。


通夜の読経は、最後、坊さんと参列者全員で、「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。」と、声を合わせて唱えて終わった。

そこからはまた、酒を飲み飲み飯を食べ食べ賑やかに、祖母を囲みながらの宴会がはじまった。


92歳の最高齢参列者の息子、私の父のいとこである叔父が、

「よしみちゃん。よしみちゃん。」と、話しかけてきた。

叔父はとっても頭が良くって、幅もひろくって、話がめちゃめちゃ面白いから私は叔父に会うといつも、つきまとっている。


「よしみちゃんよしみちゃん。」

「ん?なになに?!」

「よしみちゃん。宗教は哲学から来とろうに。」

「うん。うん。」

「わしは別段、宗教のことは詳しいわけじゃないけんあれじゃがの。」

「うん。うちもそうやで。」

「うん。でもの。哲学から来とるのはわかろうもん。」

「うん。」

「わしは神様も別段信じとるわけじゃないけんの。」

「うん。うん。」

「でもの。さっきのお通夜の読経でもそうじゃったけどの。最後にみんなで、『南無大師遍照金剛』て、3回唱えよったじゃろ。」

「うん。めっちゃ気持ちよかったわ、あれ。身体がポポッポッポした。」

「そうじゃろ。わしゃな、よしみちゃん。
別に神様に救いを求めんでもええ思うとるんじゃ。それでも人間、幸せには暮らしていけるしな。
でもな、よしみちゃん。
やっぱりな、あそこで3回、『南無大師遍照金剛』て唱えられる人はな、
幸せになれるんじゃよ。」


「わしはの、よしみちゃん。もっと幸せになれるんじゃよ。そう思うんじゃよ。」



この日。実家に植えられていた椿は満開。

そして近所の桜並木もほぼ、満開。

祖母を見送る日にふさわしい、そんな日だった。

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